人間としての人生の反省会②

制作経緯

読ませることを想定していない記録。

前提

2作目「未定なりの何か」(2019) では1作目より読み込みが進んだ要素と、津田仏教学の全体像のビジョンを持てずに適当に流したことが明白な部分が混在していた。
フラストレーションが解消されなかったため、3作目の制作は必然的に決まった。

前作からの経緯と精神状態

翌2020年はコロナ禍で作業に適していた(7-8月はタダ同然のカプセルサウナに住み込みで作業している状態だった)が、たまゆら小史のリメイク作業と住環境が完全に行き詰まったことによる引越しが重なり、過去2作の僅かな手直しをして第二版とするに留まった。夏のエアコミケの日程に合わせてBooth公開を始めたが、同時にツイッターを止めた(2024年に再開)こともあり、現在まで反応はない。
2020年夏以降は禍による行動の変化とVtuberに入れ込んだことなどの影響で徐々に鬱傾向になり、2021春-2022夏まで軽症ながら治療を続けた。また2022初めに県をまたぐ引越をし、住環境はある意味改善したものの当地の住民の精神構造が理解できず内攻が静かに進行した。
2022後半より徐々に音楽クラブや即売会に復帰し、同人再開の機運となる。
2023前半は生業の負荷が上がり、また作業スタイルがうまく確立できなかったことで夏には既刊のみの出展。既刊とはいえ実質新刊も含めて5冊しか売れず、立ち読み者の関心も芳しくなかったことから、これまでの活動(概ねイベント毎に8~10冊販売)の妥当な帰結を見たような思いとなりやや自信をなくす。とはいえ新刊を所望の方やイベント毎に声をかけてくれる津田ファンの出展者もおり、3作目を(満足行く形で)完成させるという約束を行う。これは後述の謎の誓約へと変質したこともあって、新刊の完成にあたり非常に力があった。
8月後半より本格的に作業に着手したが、2023年の猛暑と晩夏の残暑によって自律神経失調と鬱を併発し、さらに受診に1か月を待たされたこと、いくつかの対人のやらかしが重なったことで心身の調子は経験のないほどの悪化を辿った。自律神経失調は漢方で改善したが、身体症状を含む鬱と気力体力の低下は現在まで波を含んで継続している。
一方で、治療に伴うSNSYoutube断ちは最低限の気力維持と作業時間の確保に不可欠であった。

制作の経過

2020年時点で「現代編」というコンセプトを予告していたこと、7月に「環境論科研」フルテキストを入手したこと、さらに陰謀論やコロナ禍からロシア侵攻に至る情勢などがあり、以下のコンセプトを明確に保持したまま制作を進めることができた。

・環境論を起点に後期津田の全体像と格闘し、現代的な事象を意識しながらその意義を問う
・同時に、前2作を踏まえた筆者自身の「輪廻思想の可能性の考察」の決定版を出す

夏以降の作業としては、書き溜めた数年分のメモアプリとSNS投稿の整理が時間の過半を占めた。
時事の感想や関係のない断想から上記のことを抜き出して整理する作業はなかなかに楽しいものだった。結果的にそれらを並べるだけでかなりの分量を確保することができた。それにどれだけの構成的な肉付けないし調理を施せたかと問えば、満足とは言い難いが…。
誤算としては平日は主に精神的問題で時間が取れなかったことに加え、一通りの素材を揃えた11月~12月初頭の約一月間、ほとんど作業自体が進まなくなった。三度の底付き体験が必要だろうという見通しないし覚悟はあり、実際に3,4度の底付き体験を経験してどうにか再起動した。

その後、各章の本文構成と津田章(1章)の結論部「津田真一仏教学の決算」の構想をしていった。
結果的にもはや猶予がなくなり、次に延ばすことはできないという思いを最後のバネに、12月後半に強行軍を編成してどうにか論旨を一貫させ、完成させた。

人間としての人生の反省会①

昨年末、某所にて津田真一仏教学と輪廻思想についての評論同人誌を頒布した。
ニアヒューマン強化再生 - (ΦωΦ)増益所 - BOOTH
本作の作成の狙いとして、Boothの紹介文には次のように書いてある。

後期密教の研究で知られる仏教学者・津田真一博士を語る同人誌の三作目(最終巻) これだけで楽しむことができます
津田仏教学の応用編として、『環境論科研』(1998-2001) が提起した議論の現在地から見る「開放系の仏教学」30年の意義、輪廻思想の現代的拡張、などの問題を徹底考察します

その制作を終えての反省と今後の身の処し方?について、2/12までに整理すること(できなかったら自殺する)としていた。
残念ながら、良くまとめられたとは言い難いが、数回に分けて記録していく。

本作を作成するにあたっては、4年半ぶりの新作、そして津田真一と輪廻思想に因われた自分の半生の結論・総決算にあたる最終巻ということで、可能な限りの気負いと誇大妄想的な意義を設定して、その圧力と常にともにありながら工程を進めていった。
そしてその帰結として、数々の齟齬と怠惰と苦痛とに絶え間なく直面し続けることとなった。
そのような難儀を予期した私は、きわめて早い段階で次のような設定を自らに信じ込ませ、壁打ち用のSNSで公言もしていた。

・本作を書き上げ2023/12/31に頒布するまでの間、宇宙に死を禁じられている
・生存保証により、意図的なサボタージュがない限り制作が未達に終わることはない
・制作を完遂し、2024/1/1を迎えて以降は運命を解放され、自分の心のままに死または余生を行うことができる

 

死の病跡学 ③ルーシュとアスコキンは両立しないか

生命の本質が精神であり、精神が中心への志向であることにおいて、生命存在は存在論的に一なるものを構成する

という神秘家の構想に意味があるならば、月の食料とは何であるか。

 

・月は業熟体。月の界面は生命が満ちる。地球上は天、身体は天の容器、個体生命は月より突出したものである。

・従って、個体の死とは生命が月に退隠することである。このとき、個体生命で満ちた地球空間が反射的に波動して孔に落ち込み、退隠する生命を震えとして表象する。即ちアスコキンの実体は反動である。

グルジェフの言う絶え間ない自己想起とは当にこの反動に同化することで、意識を地球上に保持開顕する、自罰的・美的な試みと言える。

・ルーシュは表象ではない。変換され精製された振動エネルギーであり、流通が可能である。意識はその「一般化された」精製過程における反動強化プロセスと解釈される。即ち個体意識とは全て「召喚されたもの」にすぎない。

・モンローは、その探究の行き掛かり上、鹿爪らしくも自分で自分の責任を取ろうとする方向に誘導されていった。置かれた場所で自らの強化再生に着手する機械と自らを化成することで、循環論的に報恩を果たす、という、至って一神教的な思考構成が支配する。

・この2つが似て非なることを見るのはたやすいが、どちらが思想的に洗練されていると言えるか。無論ルーシュなのだが、そうであれば、我々はそのパラダイムからどの様に自由ではないのか。あるいは、それを有神教ではなく一神教と評するときの、その双方が真に制約とするのはいかなる事態か。

死の病跡学 ②無くなるもの

 (1) 全ては禁止されない
 (2) 全ての人間の行為はそれぞれの仕方による(1)への端的な支持にほかならない
というものなので、(2)の普遍性条項がバクーニンのいう不可視独裁の理論的根拠ですね」

「では(2)を改変して

 (2')(なし)

 (2'') 全ての想念はそれぞれの仕方による(1)の端的な実現にほかならない

などとしたらどうでしょうか。普遍性がより強力で、担っている世界の数がより増えてるのではありませんか」

「禁止されないのは『全て』です。担っているのもたった1つの『全て』です。

それ以外は制約されていて、解放される必要があるという見方なのです」

「『全て』は解放されているのですか。『全て』は唯一なのですか。『全て』は無限であり得ますか。解放される〈『全て』とそれ以外〉、といった思考でそれに接触することは可能ですか」

 

「輪廻思想の公準

 (1) あらゆることは起こる(=世界は自明である)
 (2) あらゆる言語表現は信念(1)の率直な表明のバリエーションにほかならない
の2つ。」
「人がその生を投企・揚棄する前提として、『自己ではなく世界の側が自明であるという認識』が要請される。
自己の生は自明ではないので、死への接触の仕方を媒介して、善きものを選ぶことができる。
その一方で、人生が一度という輪廻思想の極を実質的に緩和しないことには、人生に純粋な苦痛以外もはや見出せなくなり、緩和を意識的に行うことを強制される人が、ときとして大量に現れる」

死の病跡学 ①骨

「死を理解しつくすことなく、死後はどうなるのかという話を行うことは可能であり、現実態としてはそれしかないが、原則的には正しく解明された死という概念の理解の中にこそ死後の把握が完全に含まれるはずであり、もし死に関する知的誠実というものがあるならばそのようにあるべきだ」
という話がある。
また、
「死んだら全部終わり、それはすごい見識だと思うけど、そんなことを本気で思っている人は2023年現在ではもう一人もいないと思う(私は見たことがない)ので、そのことについてどう考えるか、あるいはどんなふうにして考えないか、ということが結局のところだと思います」
という話がある。
また、
「断滅論→輪廻思想の一つ(極北。人間には無理)
 有神論→まあ輪廻思想(枠に収束する)
 常住論→厳しい(端的な死の撥無)
 私は輪廻論者で有神論者です。みなさんは、どうでしょうか」
という話がある。
 
「私は、『子供時代のモーツァルトの遺骨』の話が大好きです」
本当はモーツァルトではないと思うが、誰の話だったかわからない。

たまゆらの秘密 ⑩サイ科学会

日本におけるハードな心霊主義の系譜に「たまゆら」を位置づけて見ることも可能である。
電気通信大学名誉教授で電波工学の専門家であった関英男は、船井幸雄や植原紘治と共に設立した教育団体「加速学園」や速読団体「ルンルの会」を通じて、「洗心」連呼や「両手振り運動」などの自己暗示法を展開普及したことで知られる。
関らの主導した実践サークルでは、90年代末ごろよりたまゆら写真が盛んに取り上げられ、実践者の精神的・霊的向上の証として、あるいはより神道的世界観へと傾倒した理解とともに、参加者のホームページを通じて発信された。こうしたたまゆら観は後年、船井が主導した各種団体に引き継がれる。

関のオカルト・霊性の分野における探求は、同大教授の佐々木茂美と共に1976年に設立した超科学団体「日本サイ科学会」を原点とする。
機械工学の専門家であった佐々木は、サイ科学会誌上で主に念動力や気の研究を発表していたが、2003年以降は意識を持つ霊的エネルギー体=オーブ(2014年頃より「たまゆら」呼称を使用)の研究に傾倒し、2019年に研究成果をまとめた『オーブ・たまゆら』(ヒカルランド)を刊行した。

 

サイ科学会を通じた関・佐々木の超科学研究は、医療応用を中心とした活動を続ける福来研究所や、文化的プレゼンスの維持を担う日本心霊科学協会と並んで、本邦におけるスピリチュアリズム疑似科学の架橋を担ってきた系譜の末裔をなすといえ、影響力こそ小さいが重要である。
余談だが、広島大学名誉教授・現上海科学技術大学教授の工学者である佐々木茂美は、先述の佐々木と同姓同名の別人であるが、同教授は近接場光学を応用した光渦発生などの研究を行っており、見る者によってはうっかり面白いことになってしまっている。

 

(2017年発行・2020年新編発行の同人誌「たまゆらのひみつ」より抜粋・改稿)

たまゆらの秘密 ⑨ラムサの学校

70年代以降の米国では、ニューエイジ運動に関連する超科学的エネルギー現象として霊光現象が取り上げられた。これに対して日本の諸運動がレイキ・ヒーリング等を経由してどれほど直接的に影響したかは筆者の知見を越えるが、例えば吉永進一他『近現代日本の民間精神療法』(2019)等を参照されたい。
一方で、米国においては「霊光現象」は写真を媒介したものに限られなかった。
例えばニューエイジ団体RSEを主宰していたJZナイト著『White Book』や、一時同団体の影響下にあったシャーリー・マクレーン著『Dancing in the Light』等では、高級神霊のエネルギーによって出現する「多数の光球」を肉眼で感知した体験や理論が述べられており、「写真に映るもの」ではなかった。オーブ「写真」が布教手段として用いられるようになったのは早くとも90年代末、恐らくは2001~02年頃とみられる。
RSEの発行する書籍では、人体オーラに関する疑似科学的な独自理論を展開しているが、オーブ写真に関してはチャネリング情報を通じて直接示唆された教義ではなく、信奉者の手になる研究書『The Orb Project』(2007)が初出のようである。現在のRSEのウェブサイトではイベント中に撮られたオーブ写真が多数掲載されており、重要な布教手段となっていることがうかがえる。

 

他方で、米国におけるオーブ「写真」は、主に心霊趣味のサブカルチャー的対象として存在し続けた。
懐疑主義者団体サイコップのジョー・ニッケルによる本『Camera Clues』(1994)では、オーブ写真に決まった名称は当てられず「ボール」「パーティクル」「ドット」等と呼ばれており、霧状の光ムラ「ミスト」と併置されている。
これらがBOL(Balls of Lights)やオーブ(Orbs)という一種の符丁の形で呼ばれはじめるのは、同書が刊行された94年前後のことだったようである。
同年に設立された心霊愛好団体Ghost Hunder's Societyは、廃墟巡りなどの「新しいホラー趣味」を提唱した先駆け的団体の一つであり、インターネット上で見つかる最古級のオーブ写真である95年の廃病院で撮られた写真などを公開している。96年には、やはりオーブという呼称は使われていないが、ニューヨーク・タイムズ紙がオーブを含む心霊写真趣味を紹介する記事を掲載している。

 

その後90年代にかけて、これらの心霊現象は『Xファイル』に代表される怪奇ドラマや、各国の心霊ドキュメンタリー番組で盛んに取り上げられる題材となり、その関係者の中には小林信正(フジテレビ)など、ビデオ作品の制作を通じて本格的にその研究に取り組むものも現れた。他方でニッケルや大槻義彦など反オカルティズムの論陣を張る論者も多数登場し、一部ではウィルオウィスプや火の玉などの自然現象を引いた、やや中途半端な「科学的説明」も試みられた。
このような、怪奇的興味にかきたてられたメディア上の盛り上がりに対して、疑似科学スピリチュアリズムの題材としての再流行は数年遅れ、およそ2000年前後からマスメディアと相互影響を与えつつ同時並行的に展開することになった。前述のRSEはその両者に関与した典型的な集団であったといえるだろう。