たまゆらの秘密 ⑤タマユラ

『神字日文考』(1999)等に詳しいが、この日の撮影時、吉田が主宰する「日本ペトログラフ協会」(北九州市)の関連団体「熊本ペトログラフ協会」と、幣立神宮の信奉者である米本佐和子が主宰する熊本市の和歌研究会「古代史相聞の会」および、杉本浩の主宰する熊本市のスピリチュアル研究会「シャーリー・マクレーンの会」のメンバーが多数立ち会っていたという。
これらの団体のメンバーはもともとかなり重なっていたことから引き合わされたようだが、「シャーリー・マクレーンの会」は、盛期ニューエイジの伝道書の一つとして知られる『Dancing in the Light』等の記述から「善性の霊魂は特殊な波長の光で形成される泡状の光暈を纏っており、これに認識力を同調することで肉眼の視界中に見ることができる」という考えに立っていたようである。1993~94年にかけて、米本をはじめ「古代史相聞の会」会員や春木伸哉(禰宜、現宮司)の妻など、多くの幣立宮関係者が霊的なスポットで光の玉を見ることができるようになったと主張した。

 

この光暈を新古今集から取った言葉でタマユラ(玉響)と呼び始めたのが米本であったか、他の関係者であったかは不詳である。

吉田は、もともと『ムー』90年3月号等において、ペトログラフ発掘現場の写真に写り込んだフレア像を「金壺」と読んで喧伝しており、熊本県内の鎮守の森などで撮影した後方散乱光の玉ボケ像(オーブ)を、この目視できる「タマユラ」に結びつけたようだ。
1994年10月刊『たま』93号でこの現象を発表した吉田は、後の自著において、ペトログラフの霊力を証明する現象としてタマユラを繰り返し取り上げている。
吉田の考えるたまゆらは、神道的な「清き心に応えて顕現する高級神霊の徴」といった理解とはややニュアンスを異にするようである。上述の記事では「意識を持つ未知のエネルギー体」、『岩刻文字の黙示録』(1995)では「神霊エネルギー意識体」「宇宙人からのメッセージ」と、それ自身が意思的存在であることを強調している。これは後に触れる超科学的見方に近いものである。

 

その後、「たまゆら」は「新しい心霊写真」としてインターネットやオカルト番組を通じて認知を拡大したのち、中矢伸一や船井幸雄のメディアを通じて神道・スピリチュアルの文脈で再受容されていくことになり、吉田の「タマユラ」は衆目を集めることはなかった。